ピエール=オーギュスト・ルノワール

 

『幸福を描く画家、ルノワール』

 
ルノワールは、19世紀フランスの代表的な画家です。「印象派」といえば、モネ、シスレーなどとともにルノワールを思い出す人も多いことでしょう。

ルノワールの絵画の魅力は、なんといっても作品から醸し出される幸福感。ルノワールの絵画を見ていると、まるで遠くから楽しい音楽が聞こえてくるかのような幸福感に包まれます。

さて、フランスの巨匠、ルノワールの作品の魅力は一体どのようにして生まれたのでしょうか?


ルノワールとは

 
ルノワールは、モネやシスレーとともに印象派の代表的な画家です。印象派とは、物体には固有の色があるという従来の考え方をやめて、光による色の変化を瞬間的にとらえることを目指した画家たちのことをいいます。

ルノワールはモネやシスレーらと第1回印象派展に参加し、仲間たちと切磋琢磨し合いながら表現技法を追求しました。しかし、ある時点から印象派の表現に限界を感じ、古典主義の表現に回帰します。

その後、ルノワールはプロヴァンスにおいてあたたかみのある独自の表現方法を手に入れ、黄金時代を迎えました。その点で言うと、ルノワールはモネやシスレーなどの純粋な印象派の画家とは違う、印象派の枠組みを超えた存在ということもできるでしょう。

印象派の画家たちには、人物画よりも風景画を重んじ、戸外で制作をするという傾向があります。しかし、ルノワールは戸外にこだわらず屋内でも制作を行い、美しい花や豊満な裸婦、愛らしい子どもなどをモチーフとして多くの傑作を残しました。

ルノワールは、憂鬱なものや醜いものを嫌い、美しく愛らしいものを生涯にわたって描き続けました。穏やかなタッチで描かれる「幸福」の姿に癒される人も多く、親しみやすい作風から非常にファンの多い画家です。


ルノワールの生涯

 
ピエール=オーギュスト・ルノワールは、1841年にフランスのリモージュで生まれ、20代前後で本格的に画家を目指すようになりました。1874年になると、親しくしていたモネ、シスレー、ピサロ、セザンヌ、ドガたちと共に第1回印象派展に参加します。この展覧会は酷評もされましたが、これをきっかけにルノワールの名は次第に世間に知られるようになりました。

ところが、しばらくすると印象派の表現に限界を感じるようになります。彼は過去の巨匠たちの表現方法や構図に惹きつけられていきました。そして、色彩よりもフォルムを重要視し、古典主義の乾いた表現を取り入れようとするようになっていきます。

しかし、結婚して息子を授かったころ、彼の作品に再び変化があらわれます。ルノワールは古典的な崇高な美しさと、現実のあたたかみのある美しさを融合させるという偉大なる挑戦をはじめたのです。しかし、この偉大なる挑戦には文字通り「痛み」が伴います。48歳のときに彼をおそった関節炎は、リューマチを合併して進行し、1910年にはついに車いすで移動しなければいけないほどになりました。

ルノワールは手足が麻痺したのちも、手に筆をしばりつけて作品を描き続けたといいます。亡くなる前年の1918年に描かれた『浴女たち(ニンフ)』という大作が、そのような状態で描かれたとは驚くべきことだといえるでしょう。


ルノワールが好んで取り上げたモチーフ

 
ルノワールは勤勉で、心の底から描くことを愛していたため、生涯を通じて多くの作品を残しました。そのなかでも頻繁に取り上げられた3つのモチーフについて紹介しましょう。


ルノワールは数多くの花の静物を残しています。あふれんばかりに描かれたバラやアイリス、アネモネ。色とりどりの花々はどれも美しく、見ていると心躍りますね。

花といえば、ルノワールは本格的に画家を目指す前に陶磁器の絵付けの仕事をしていたのですが、その仕事でもよく花を描いていたようです。

陶磁器の絵付けには繊細で正確な筆づかいが必要ですが、ルノワールは熱心に仕事に励み、単純な花のデザインからマリー・アントワネットの肖像まで手がけていたそうです。彼の初期の作品には、絵付けをしていた頃の繊細な技がうかがえる作品もたくさんあります。


裸婦

ルノワールは、胸は小さめでお尻の大きい、透き通るような肌の女性の裸婦像を多く描いています。彼にはリーズ、アンナ、ガブリエルなどのお気に入りのモデルが何人かいましたが、みんな彼好みの豊満なスタイルでした。のちに妻となったアリーヌもその点は共通しています。

ルノワールは、芸術の中で裸婦を極めて重要なもののひとつと考えており、生涯を通じて精力的に裸婦に取り組み、特に晩年には『パリスの審判』などの多くの傑作を生みだしました。


子ども

ルノワールは人物の魅力を引き出すのがとてもうまい画家ですが、特に子供を描いたものには傑作がたくさんあります。白い肌にばら色の頬、夢見る瞳で描かれたこれらの子どもたちは、まるで天使のような愛らしさです。

特に自らの子どもを授かってからは、より親密さの増した作品を生み出しています。家族を描いた『読書のおけいこ』などの作品がその代表です。あたたかい家庭環境がルノワールの芸術に大きな影響を与えたといえるでしょう。


ルノワールと音楽

 
ルノワールの作品を見ていると、楽しい音楽を聴いているときのように心が躍ると感じる人は、少なくないでしょう。それはもしかしたら、ルノワールと音楽とのかかわりが関係しているのかもしれません。

ルノワールは美声の持ち主だったようです。彼が子どもの頃に通った学校では、シャルル・グノーが音楽の授業を担当していました。グノーといえば19世紀フランスの作曲ですが、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の中にあるプレリュードに旋律をつけて、『アヴェ・マリア』を作ったことでも有名ですね。

グノーはルノワール少年に歌手の才能があることに気づきましたが、ルノワールの両親は息子を堅実な道に進ませるため、歌手ではなく、陶磁器の絵付けの仕事をさせました。これはルノワールの人生における大きな分岐点だったといえるのではないでしょうか?

また、ルノワールはピアノを弾く人物の作品を多く残しています。特にピアノに向かう2人の少女を描いた『ピアノに寄る娘たち』は、彼が古典主義の表現を脱してあたたかみのある表現を取り戻した頃に描かれた傑作です。

19世紀フランスの作曲家には、グノーの他にも『亜麻色の髪の乙女』を作ったドビュッシーや、『シシリエンヌ』を作ったフォーレなどがいますね。寄り添う2人の少女が一体どのような曲を弾いているのか想像しているのも楽しいものです。


印象派の仲間と学びながら、独自のスタイルに到達したルノワール

 
ルノワールはモネやシスレーなどの仲間と共に印象派の技法を学びながらも、古典主義への回帰を経て、独自のスタイルを生み出すことに成功したフランスの巨匠です。美しく愛らしいものを描く情熱は、自らの体が不自由になったのちも衰えることはありませんでした。

ルノワールが、手足の障害を乗り越えてなお新たなスタイルを生み出すことに成功したのは、彼が描くということそのものに喜びを見出し、その喜びをエネルギーに変えたからに違いありません。

憂鬱なものや醜いものを嫌い、美しく愛らしいものを描き続けたルノワール。彼の描く作品から醸し出される幸福感は、200年近くたった今でも現代人の心を明るく照らしてくれています。